2016年のから、もうすぐ10年が経とうとしています。
私たちファンにとって、あの東京ドームでの最後のステージは今でも忘れられない思い出です。
氷室京介さんが両手を大きく広げて客席を見渡し、投げキッスをしてステージから去っていったあの瞬間。
正直、涙が止まりませんでした。
あれから長い時間が経ちましたが、私は今でも信じています。
ヒムロックは、きっとまた私たちの前に現れてくれるはずだと。
今回は、氷室京介さんの2026年に向けた最新の活動状況や、現在の生活、そして私たちが最も気になる復帰の可能性について、徹底的に調べ上げた情報をまとめていきます。
氷室京介の現在は?最新の活動状況
ファンクラブ「KING SWING」のオンライン化と会報誌休刊に見る運営体制の変化
2025年に入ってから、ファンクラブ「KING SWING」に大きな変化がありました。
長年、私たちファンと氷室さんをつないでくれていた会報誌が、ついに休刊となったのです。
正直なところ、最後の会報が届くまで、かなり時間がかかりました。
通常は四半期に1冊のペースで発行されていたのに、2025年1月に発送された後、次号の発送がなかなか告知されなかったんです。
私も含め、多くのファンが「いったいどうなっているんだろう」と不安になっていました。
そして5月23日、ついに最後の会報誌が発送されました。
公式ブログの情報によれば、この最後の会報には特別な思いが込められていたようです。
さらに、例年3月14日頃に届いていたホワイトデーギフトも、2025年は配布されませんでした。
毎年、ちょっとしたスイーツやスナックが届くのを楽しみにしていたのですが、今年は何の予告もなくフェードアウトしてしまったんです。
本人の活動がない今、年に一度のささやかな楽しみも失われてしまいました。
でも、これは決してネガティブな変化だけではないと私は考えています。
2025年1月にリニューアルされたファンクラブサイトは、オンライン化を推進する新しい方向性を示しているんです。
実際、2025年7月にはサイトが再度リニューアルされ、大量のコンテンツが投下されました。
これは、氷室さんとファンの新しい繋がり方を模索している証拠ではないでしょうか。
2016年<LAST GIGS>から10年、ファンが待ち続ける新作アルバム制作への期待
あの最終日の東京ドームで、氷室さんは私たちに約束してくれました。
「日本語のタイトルをアルバムで付けたことがないんで『還暦』ってアルバムにして。1曲目は『60(シックスティー)』、2曲目は『年金』で」
そして、「時間をかけてアルバムを作ろうと思います」と。
氷室さんは1960年10月7日生まれで、2020年に還暦を迎えました。
私たちファンは、4年の時間をかけてアルバムが完成するのを心待ちにしていました。
残念ながら、2020年の還暦のタイミングではアルバムのリリースはありませんでした。
でも、あの年には「氷室京介展」というイベントが開催され、ヒムロックの歴史をライブ衣装や私物、未公開写真で振り返ることができたんです。
さらに同年10月、氷室さんの還暦と誕生日を祝うオンラインイベント「KYOUSUKE HIMURO 60th ANNIVERSARY ONLINE HANABI LIVE DISTANCE」が開催されました。
そこで氷室さん自身が「もう一度気持ちを奮い立たせて、リリースの方も来年には出来たらいいなと思っています」とコメントしたんです。
公式サイトでも、この時の言葉は今でも多くのファンの心に残っています。
あれから時間が経ちましたが、私は信じています。
氷室さんは常に高いクオリティを追求する人です。
だからこそ、アルバムの完成度を上げるために時間をかけているのだと考えられます。
そして、2025年10月には大きなニュースが飛び込んできました。
2026年春、フィルムコンサートツアー「LAST GIGS OVERRIDE」の開催決定です。
音楽ナタリーの報道によれば、ライブ活動休止から10年の節目に、4大ドームツアーの熱狂が蘇るとのこと。
これは、還暦アルバムのリリースに向けた布石なのかもしれません。
私の中では、2026年5月の 10周年のタイミングこそが、約束のオリジナルアルバムリリースの絶好のチャンスだと感じています。
公式配信コンテンツ「Stream GiG」などから読み解くファンとの新たな繋がり方
氷室さんのもう一つの課金サイト「PERSONAL JESUS ONLINE」では、月に一度、過去のライブ映像作品の配信が行われています。
2023年5月から始まったこの配信は、私たち古参ファンにとっては懐かしいライブを再び楽しめる貴重な機会となっています。
これまでに配信された作品を見ると、LAST GIGS福岡・東京初日から始まり、SOUL STANDING BY、EMBRACE THE SOUL、JUST MOVIN’ ON武道館、L’EGOISTE、HIGHER THAN HEAVENなど、数々の名ライブが蘇っています。
参考ブログによれば、2025年8月にはL’EGOISTEが再配信されるなど、限られたコンテンツを無限ループする形も見られるようになりました。
正直なところ、「また同じ映像か」と思う気持ちもあります。
でも、考えてみれば、これは氷室さんとファンの新しい繋がり方なんですよね。
会場に足を運ぶことができなかったライブを、自宅で何度でも楽しめる。
時代に合わせた、新しいファンサービスの形だと私は理解しています。
さらに、2024年1月に行われた「KS Stream GiG Vol.01」では、過去にオンデマンド配信されて円盤化していないSSB+がチョイスされました。
「Vol.01」と付されていることから、続編が期待できます。
実際、2024年4月29日には「LAST GIGS NAGOYA」が上映され、多くのファンが駆けつけました。
次のVol.02では、GREATEST ANTHOLOGY -NAKED-の東京国際フォーラム公演あたりが濃厚ではないかと私は予想しています。
耳の病状を整理!ライブ活動休止の理由と現在の体調に関する情報
両耳の難聴(トーンデフ)がパフォーマンスに与えた影響と本人が語った葛藤
2014年7月13日、突然の音楽活動休止宣言。
そして7月19日、横浜スタジアムのライブ中に、氷室さんは私たちファンに向けて引退理由を明かしました。
それは左耳の「トーンデフ」という聴覚障害でした。
スポニチの報道によれば、氷室さんは「ある一定のトーンだけ聞こえない」状態になっていたとのこと。
この「トーンデフ」という病気は、ある一定の音域だけ聞こえなくなる聴覚障害で、原因や治療法は解明されていません。
氷室さんは横浜スタジアムでこう語りました。
「年のせいもあって7年くらい前から右耳の調子が悪かった。でも利き耳は左だから、そのままライブをやっていたら、左もどこかのトーンだけ聞こえなくなった」
つまり、2007年頃から右耳の異変を感じていたということです。
それでも彼は、私たちファンのためにライブを続けてくれていたんです。
利き耳である左耳が不調になったとき、氷室さんはリハーサルで技術スタッフに迷惑をかけていると感じたそうです。
よく見る、左手で耳を押さえながら歌う姿は、音程を確認しながら歌うための仕草だったんですね。
「俺のミュージシャンとしての寿命なのかな」
最後にポツリと漏らしたこの言葉に、私は涙が止まりませんでした。
完璧なパフォーマンスを重視する氷室さんにとって、音が正確に聞こえないというのは、ミュージシャンとして致命的なことだったのでしょう。
引退ではなく「ライブ活動の卒業」を選んだ理由とロックスターとしての美学
氷室さんは、このとき「引退」という言葉ではなく「氷室京介を卒業します」と表現しました。
実は、以前から氷室さんは「もう体力が追いつかなくなったらフェードアウトではなくてスパッと辞める」と発言していたんです。
氷室さんは「自分でイメージしてることが出来なくなった時、体力的に無理だと思った時に辞めようと決めていた」とのこと。
これこそが、ロックスターとしての美学なんだと私は思います。
中途半端な姿を見せるよりも、最高のパフォーマンスができなくなった時点で潔く身を引く。
カッコ悪い姿を見せたくないという、氷室さんらしい決断でした。
当時、TAKUROさんから「お願いだから最後のライブって言わないでください」とダメ出しされたというエピソードも語っていましたね。
それでも氷室さんは、「時間をかけてアルバムを作ろうと思います」と私たちに希望を残してくれました。
これは完全な「引退」ではなく、「ライブ活動の休止」なんです。
音楽活動そのものは続けていくという意思表示だったと、私は理解しています。
近年のメッセージや寄稿からうかがえる、現在の聴力と音楽への向き合い方
ライブ活動休止後も、氷室さんは音楽との関わりを完全に断ったわけではありません。
2018年7月18日には、「GOSPELS OF JUDAS(ゴスペルズ オブ ジュダス)」が1stアルバム『IF』をリリースしました。
これは、氷室さんと親交があるクリエイター達が「アーティスト主導で自由に生まれた音楽を、デジタルツールを通してリスナーに届けたい」というプロジェクトの一環です。
LA在住の日本人ギタリスト・YT(YUKIHIDE TAKIYAMA)さんを中心に、氷室さん、TESSEYさんなど豪華なメンバーが参加しています。
実は、このプロジェクトは2012年から氷室さん、YTさん、エンジニアのTESSEYさんでスタートしていたそうです。
2014年の音楽活動休止前に録音された氷室さんのボーカル曲「Bloody Moon」「Play within a Play」の他、2曲も収録されています。
活動休止前に録音されたとはいえ、長い年月を経てアルバムという形で世に出たということは、氷室さんの音楽への情熱が変わっていない証拠ですよね。
また、2021年10月には、DAIGOさんが日本テレビの朝の情報番組「ZIP!」の木曜パーソナリティーに決まった際、氷室さんがサプライズメッセージを送っています。
「DAIGO君へ。久しぶり!DAIGOとは知り合ってから20年近いかな。コロナもあり近年会えてないけど、いつもながら応援しています。朝早いだろうから大変だと思うけど、身体に気をつけて頑張って下さい! HIMURO」
一切メディアに出ないのに、後輩のためにメッセージを贈る。
これこそが氷室さんの優しさであり、粋な計らいだと私は感じます。
現在の聴力状態については公式な発表はありませんが、こうした活動を見る限り、音楽との向き合い方を模索し続けていることは間違いないでしょう。
LAでの生活に迫る!ロサンゼルスを拠点にした暮らしと私生活
ビバリーヒルズ豪邸売却報道と、その後も続くロサンゼルス生活へのこだわり
氷室さんがアメリカに住んでいることは有名ですが、具体的にはロサンゼルスに住んでいる可能性が非常に高いです。
2004年に640万ドル(約7億円)で購入したカリフォルニア州ビバリーヒルズの大豪邸を、2021年8月に900万ドル(約10億円)で売却したことが現地新聞「ロサンゼルスタイムズ」で報じられました。
スマートフラッシュの記事によれば、売却益は3億円にもなったとか。
この豪邸は、以前はプロバスケットボール選手のシャキール・オニールさんが住んでいたそうです。
1200平米の広大な土地には、7つの寝室、8つの浴室、シアタールーム、ビリヤード、音楽スタジオ、滝があるプールなど、まさにセレブの豪邸という感じでした。
特に興味深いのは、2つの本棚に並んでいた本です。
漫画「宇宙兄弟」、古典「三国志」「源氏物語」、「週刊歴史のミステリー」「日本人のちょっとヘンな英語」「ブッダの教え」など、様々なジャンルの本が並んでいたとのこと。
氷室さんの知的好奇心の幅広さがうかがえますね。
豪邸を売却したとはいえ、氷室さんは現在もロサンゼルスに住んでいると考えられます。
実は、氷室さんの事務所も「豪邸の売却」を知らなかったようで、予定外の売却だったのかもしれません。
現地での交友関係や目撃談から垣間見えるプライベートな一面
ロサンゼルスでの氷室さんの生活について、いくつかの目撃情報があります。
まず、女優の桃井かおりさんの2019年12月15日のインスタグラムに、氷室さんが登場して話題になりました。
大リーグ・ツインズの前田健太選手とその家族、桃井かおりさんと一緒に、桃井さんお手製の鶏鍋と石狩鍋のディナーを楽しんでいる様子が投稿されたんです。
桃井かおりさんの自宅はロサンゼルスですし、前田健太選手の自宅もロサンゼルスです。
これは、氷室さんもロサンゼルスに住むご近所で親交があった可能性が高いですね。
桃井かおりさんのインスタには「氷室さん大好き」「桃井さんありがとう」「元気そうで良かった」などのコメントが殺到しました。
思わぬ氷室さんの姿に、私も含め多くのファンが喜びましたね。
さらに、SIAM SHADEのギタリストだったDAITAさんがインスタで「京介親分とBH(ビバリーヒルズ)で初ランチ」と報告しています。
DAITAさんは長く氷室さんのツアーギタリストとして活躍していましたから、今でも親交があるんですね。
ビバリーヒルズはロサンゼルスの西部にある高級住宅街です。
氷室さんがロサンゼルスに住んでいれば、交通の便も良く、高級なお店でランチをするのに最適な場所でしょう。
こうした目撃談から、氷室さんがロサンゼルスで充実したプライベートな生活を送っていることがうかがえます。
自宅スタジオでの制作活動など、盟友たちと続けるクリエイティブな日常の可能性
先ほど紹介したGOSPELS OF JUDASの1stアルバムは、実は氷室さんのロサンゼルスにある自宅の地下スタジオで収録されたそうです。
メインで制作にあたったYTさんとJun Inoueさんとの対談で明らかになった情報によれば、アルバム制作に「使っていいよ」と氷室さんが自ら申し出たとのこと。
スタジオは、機材やマイク、プリアンプなど設備が整っていて、レコーディングできるようにセットアップされていたそうです。
音楽に妥協のない氷室さんのことですから、高価な機材や十分な設備が揃っているのは間違いないでしょう。
つまり、氷室さんは現在も自宅スタジオで音楽制作を続けている可能性が高いということです。
ライブ活動は休止していても、音楽への情熱は決して冷めていない。
むしろ、耳の状態を考慮しながら、自分のペースで音楽と向き合える環境を整えているのではないでしょうか。
YTさんやTESSEYさんといった盟友たちとのクリエイティブな日常が、ロサンゼルスの自宅スタジオで続いていると考えると、なんだかワクワクしてきませんか?
本格的な表舞台復帰はあるのか?今後の動きに注がれる視線
還暦を超えても増し続けるカリスマ性と、メディア露出・サプライズ登場への期待
氷室さんは1960年10月7日生まれで、2025年には65歳になりました。
還暦を超えても、そのカリスマ性は全く衰えていません。
むしろ、時間が経つにつれて、氷室さんの存在感は増しているように感じます。
2020年に開催された「氷室京介展」や「KYOUSUKE HIMURO 60th ANNIVERSARY ONLINE HANABI LIVE DISTANCE」では、多くのファンが駆けつけました。
ライブ衣装や私物、未公開写真を見られるなんて、本当に貴重な機会でしたよね。
そして、2025年10月に発表された2026年春のフィルムコンサートツアー「LAST GIGS OVERRIDE」。
TOWER RECORDSの記事によれば、氷室さんのライブ活動休止から10年の節目に、4大ドーム・ツアーの熱狂が蘇るとのこと。
具体的には、2026年4月25日のZepp Nambaを皮切りに、全国5都市で開催されます。
5月10日には北海道のZepp Sapporoでも公演が予定されています。
これは単なるフィルムコンサートではなく、会場ごとに異なる演出が施されるという情報もあります。
もしかしたら、氷室さん本人のサプライズ登場があるかもしれない――。
そんな期待を抱いているファンも多いのではないでしょうか。
私自身も、もしかしたら2026年の 10周年という節目に、何か大きな発表があるのではないかと期待しています。
還暦アルバムのリリース、そしてもしかしたら、本格的な表舞台復帰の第一歩になるかもしれません。
西麻布の「PJB」に象徴される世界観を受け継ぐファンコミュニティの現在
氷室さんは音楽活動以外にも、西麻布でバーを2016年にオープンさせています。
氷室さん自身が空間デザインをコンセプトした「PERSONAL JESUS BAR -REVOLVER-」。
氷室さんは、このバーを「想いを巡らせる場所」「絆を強く感じられる場所」「また陽が昇るまで待てる場所」など、「サンクチュアリ(聖域)」として、ファンが集える場を提供しています。
関連ブログによれば、店内はヒムロックのヒットナンバーが流れ、雰囲気もカクテルも最高とのこと。
実際にこのバーを訪れたファンからは、喜びのコメントがたくさん寄せられています。
「氷室京介さんのバー『PERSONAL JESUS BAR -REVOLVER-』に来店!店内はヒムロックのヒットナンバー、雰囲気、カクテルもマジで最高!幸せだぜぃ」
「西麻布『Personal Jesus Bar -REVOLVER』でキティとオードヴルを。氷室京介ファンの聖地にて自分のバースデーと氷室京介の60歳をお祝いする」
「着る服に迷ったあげく全身黒で行って良かったです」
氷室さんを感じながらお酒が飲めるって、ファンにとっては最高の体験ですよね。
氷室さん本人はロサンゼルスに住んでいても、日本にはこうしてファンコミュニティが存在し続けています。
これこそが、氷室さんの世界観を受け継ぐ場所なんだと私は思います。
ライブ活動は休止していても、こうした形でファンとの繋がりを大切にしている。
それが氷室さんらしさなんでしょうね。
【画像】デビューから<LAST GIGS>まで!ヒムロックが歩んだ軌跡を振り返る
氷室京介さんの音楽人生を振り返ると、本当に濃密な時間だったことがわかります。
1982年、ロックバンド「BOØWY」のボーカリストとしてデビュー。
当時の見た目もパンクスで、おっかない感じでしたが、「イメージダウン」などの分かりやすいメロディーとビートサウンドを確立していました。
1987年の「MARIONETTE」は、今でも多くのファンに愛される名曲ですよね。
BOØWYは約7年間の活動を経て、1988年4月5日に解散しました。
その間、彼らは日本の音楽シーンに大きな影響を与え、日本のロックバンドで初のミリオンセラーを記録しました。
解散宣言後のライブチケットはわずか10分で完売し、予約の電話が殺到して都内文京区の電話回線がパンクしたというエピソードは有名です。
BOØWY解散後、1988年に「ANGEL」というシングルでソロデビュー。
この曲はオリコン年間チャートで8位にランクインし、氷室さんの独自の音楽性が認められました。
1992年には、シングル「KISS ME」でミリオンセールスを突破。
この曲は123.1万枚を売り上げ、BOØWYの「MARIONETTE」以来8年ぶりのミリオンセラーとなりました。
PVも話題になり、2021年7月時点で累計1450万回再生を記録しています。
1993年のアルバム「Memories Of Blue」では150万枚を超えるセールスを記録し、ソロアーティストとしてのキャリアを不動のものとしました。
1997年には、米国ロサンゼルスに活動拠点を移し、本場のミュージシャンやエンジニアとの協力がしやすくなりました。
これにより、新たな音楽的可能性を追求する場を得たんですね。
2011年の東日本大震災の時には、「氷室京介復興支援チャリティライブ」を開催。
被災地への支援を行うとともに、音楽を通じて人々に勇気や元気を届けました。
そして2014年のソロデビュー25周年ツアーの途中、2016年の公演をもってライブ活動を無期限で休止することを発表。
は、2016年に京セラドーム大阪、ナゴヤドーム、福岡ヤフオクドーム、東京ドームで開催され、全公演で30万人以上を動員しました。
最後のステージとなった東京ドーム公演では、ソロ楽曲とBOØWY楽曲を織り交ぜた全35曲を熱唱。
5万5000人の観客から会場が揺れるほどの歓声が響き、多くの涙が溢れました。
BARKSの詳細レポートによれば、35年間に幕を閉じたナンバーは「B・BLUE」。
そのエンディングで、大きく両手を広げ、客席を見渡しながら何度も頷いた氷室さんは、オーディエンスに投げキッスをしてステージから姿を消しました。
この瞬間、私は「I Will Never Say Goodbye」という言葉を胸に刻みました。
氷室さんは「さよなら」とは言わなかったんです。
まとめ:氷室京介は現在、LAを拠点に静かに次の一歩をうかがっている
ここまで、氷室京介さんの2026年に向けた最新の活動状況、耳の病状、ロサンゼルスでの生活、そして復帰の可能性について、詳しく見てきました。
結論として言えるのは、氷室さんは現在、ロサンゼルスを拠点に静かに次の一歩をうかがっているということです。
ライブ活動は休止していても、音楽への情熱は決して冷めていません。
自宅スタジオでの制作活動、盟友たちとのプロジェクト、そして還暦アルバムの制作。
2026年春の「LAST GIGS OVERRIDE」フィルムコンサートツアーは、から10年の節目という重要なタイミングです。
もしかしたら、このタイミングで還暦アルバムがリリースされるかもしれません。
あるいは、氷室さん本人のサプライズ登場があるかもしれません。
私たちファンにできることは、氷室さんの健康を第一に考え、彼のペースを尊重しながら、その日を待ち続けることだと思います。
氷室さんは以前から「体力的に無理だと思った時に辞めようと決めていた」と語っていました。
逆に言えば、体調が整えば、また私たちの前に戻ってきてくれる可能性があるということです。
2026年5月23日は、東京ドーム最終公演からちょうど10年。
この日に向けて、私は希望を持ち続けたいと思います。
氷室京介は、決して「さよなら」とは言いませんでした。
「I Will Never Say Goodbye」
その言葉を信じて、私たちは待ち続けます。
ヒムロック、いつでも戻ってきてください。
私たちはずっと、あなたの音楽を愛し続けています。